
2025年8月6日(水)第426回WEB例会
開会点鐘・歌の斉唱
会長挨拶

25-26年度会長
鬼頭佑介(きとうゆうすけ)

皆さん、こんにちは。第426回の例会がスタートです。
猛暑が続いておりますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
先日、沖縄のジャングリアに行ってまいりましたが、こちらに帰ってきて愛知の方がむしろ暑く感じるような気がしています。
新年度が始まり、小田幹事とともに表敬訪問とメーキャップとして、下記クラブの例会に参加してまいりました。
■ 7月8日 (火)瀬戸北ロータリークラブ
■ 7月10日(木)江南ロータリークラブ
■ 7月15日(火)岩倉ロータリークラブ
【瀬戸北ロータリークラブ】坂田隆 特別代表
【瀬戸北ロータリークラブ】和佐田強 会長、中村誠司 幹事
【江南ロータリークラブ】沢田昌久 会長、尾関育良 幹事


【岩倉ロータリークラブ】武藤栄司 会長、櫻井保彦 幹事
各クラブにはそれぞれ個性と特色があり、大変新鮮な気持ちで参加することができました。
今後のクラブ運営においても多くの学びと気づきを得る貴重な機会となりました。
また、以下のセミナーにも参加させていただきました。
■ 7月22日(火)クラブ活性化セミナー(天野直前会長とともに参加)
■ 8月1日 (金)会員増強セミナー PARTⅠ


鈴木康仁 ガバナー(ウインクあいち)


ホテルアークリッシュ豊橋
クラブの活性化には何が必要か、会員増強に向けてどのような取り組みが求められるのか、多くの事例と実践を通じて再認識することができました。
幹事報告


愛知友愛ロータリークラブ25-26年度幹事の小田です。
7月は本年度会長の鬼頭会長と一緒に表敬訪問をさせていただきました。
また、海外のロータリークラブにメーキャップと式典に参加してきましたので、こちらに記載をします。




下記に幹事報告を致します。
◎ジャパンロータリーポータルサイト(ご確認ください)
マイロータリーよりも情報が見やすいです。
https://www.japanrotary.club/home
8/30(土)ガバナー補佐訪問
時間:13:00-16:30
会場:JPカンファレンスセンター3F(予定)
瀬戸RCの青山様、分区幹事様が訪問されます。
9/13(土)奉仕活動&例会
時間:9:00-12:30
会場:久屋大通庭園「フラリエ」
江南RCの皆様と合同例会となります。
10/9(木)ガバナー公式訪問
時間:12:30-13:30(12:00集合)
会場:江南商工会議所
※江南RCさんが「ホストクラブ」です。
11/9(日)地区大会2日目
時間:13:00-17:30(12:00集合)
会場:豊川市総合体育館
※1日目は「会長・幹事」のみが出席です。
12/13(土) 総会&忘年会
時間:13:00-17:30(12:00集合)
会場:JPカンファレンスセンター3F
終了後は「忘年会」があります。
◎当クラブの例会(メークアップが可能な例会)
上半期(7~12月)は「9月13日のみ」となります。
下半期(1~6月)は1月、3月、5月は可能です。
メークアップを希望される方は、こちらから①氏名②クラブ名➂メークアップ日をお知らせください。
11月9日(日)開催予定の地区大会の出欠席がまだの方は、小田までご連絡ください。
また、その際には①出欠席②食事③現地までの移動手段を合わせて、8月20日までにご返答をお願い致します。
7/5(土)新年度の初例会
7/19(土)奉仕活動(共和西児童老人福祉センター)
メークアップ&スマイル
7/16~8/5までに、30名の方にメークアップを頂きました。
高橋尚忠様、水上保徳様、松田憲幸様、芦田透様、棚橋裕様、三田村康弘様、薩摩和男様、柴田泰伸様、石田寛様、白石裕司様、金子豊久様、小林昌弘様、冨田雅則様、大矢伸明様、柴山卓也様、榊彰一様、羽鳥哲章様、角谷広高様、神野公秀様、澤田樹男様、塩之谷香様、勝木務様、横山裕司様、都築浩介様、渡辺喜夫様、中村智様、加藤英二様、奥野櫻子様、髙橋正典様、杉山俊定様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。
※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
メークアップをして、決済したにも関わらず「証明書が来ない」などありましたら、こちらからお知らせください。
卓話:『終戦から80年』


卓話者:天野元成
2025年は、昭和100年です。
1945年8月(昭和20年)の終戦の年から、ちょうど80年となります。
今から80年前、昭和20年8月6日月曜日8時15分に、広島市に原子爆弾が落とされ、多くの人々が亡くなりました。
当時、広島市には34~35万人の人々が住まわれていました。
また陸軍の師団が置かれていたので、軍人や関係者も約4万人がいました。
一瞬にして多くの人々の命が失われ、更に日ごとに亡くなる方が多くなっていきました。
2025年(令和7年)8月6日から80年前の、8月6日の出来事です。
昭和20年8月、関西大学の大学生であった天野重成は、つかの間の夏季休暇で神戸市の実家に戻った後、陸軍の部隊のあった広島に戻っていきました。
天野重成は、私の父である天野俊成の兄。私からするとお会いできなかった伯父となります。
卒業後、海運会社への就職も決まっていた伯父は、学徒出陣で陸軍の師団におり、8月6日の朝を迎えました。
『護國院重岳道成居士』
昭和二十年八月十三日 於廣島戦死 故陸軍少尉 天野重成 行年二十二歳


< 伯父のお墓 >
墓標には、二十二歳で亡くなったことが刻まれています。
原爆投下は8月6日ですので、亡くなった8月13日は一週間後となります。
伯父のお墓がある霊園には、尖塔の形をした兵隊さんのお墓が多くあり、戦争に巻き込まれた多くの若い命が眠っています。
アメリカ軍による空襲は、昭和20年3月から激しくなり、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸と主要都市への無差別爆撃が始まりました。
当時人口100万人を超え、港湾があり造船や飛行機の工場があった神戸市は、
昭和20年3月17日月曜日の未明、大規模な空襲を受けます。
この空襲で、父の姉の鈴子(私の伯母)が焼夷弾の破片による傷の破傷風で3月26日に亡くなります。春照院孝譽妙鈴大姉 鈴子 行年十九歳。
< 昭和9年の正月頃のお寺での家族写真 >
この写真が撮影された父の実家は、神戸市兵庫区にあるお寺です。
住職の私の祖父と、私の祖母。両端は父の長兄・次兄で、お寺を継ぎます。
右側の乳母に抱かれているのが、私の父の俊成。左側の乳母に抱かれているのは父の弟。当時のお寺は地域の人々が集まり、茶道、華道、筝曲も学べる文化サロンでしたので住職の妻は旅館の女将のように忙しく、子供には乳母がついていました。
祖母の前に並んでいる子供が、当時十歳位の重成と七歳位の鈴子です。
昭和57年3月23日に行年九十一歳で亡くなった祖母のマサ。
実性院光譽智順大姉。
この写真から十一年後の昭和二十年に、二人の子供を空襲で亡くすとは、夢にも思っていなかったと思います。
昭和6年11月3日生まれの父は、当時二歳。
この写真の中で一番長生きをし、令和4年6月29日に行年九十二歳の天寿を全うしました。 天翁院福譽緑壽俊成居士。
父は兵庫、母は三宮、いずれも神戸市生まれですが、小学校を卒業し中学や高等女学校に上がった時には戦争が始まっていました。
学校の授業は減り登校もままならず、父は学徒動員で三菱の工場。母は伊丹空港近くの航空食を作る工場に行っておりました。
父の家は3月17日、母の家の神戸市三宮は6月5日に空襲を受け、母からは妹の手を引いて焼夷弾から逃れたと、私が小さい頃からよく聞かされました。
野坂昭如氏の「火垂るの墓」は、この時の神戸空襲の話が元になっています。
< 神戸市空襲罹災地図 >
父は、3月17日の神戸空襲で姉の鈴子を失い、8月6日の広島の原爆で兄の重成を失っていますので、戦争が大嫌いでした。
お盆を迎えるにあたり、8月3日に父の回向と共に終戦から満80年ですので、空襲で亡くなった伯父、伯母、祖母の回向を、現在は私の従兄弟が住職を継いでいるお寺で行いました。
昭和9年に家族写真が撮影されたお寺です。
戦争は、自分は絶対に戦地に行かない欲深い年寄りが決めて、希望に満ちた若い命が犠牲になります。
古今東西、どこでもそうです。
伯父の重成も、伯母の鈴子も、一番楽しい学生生活は戦時中の制限下におかれ、更に空襲により命さえ長らえることが出来ませんでした。
若い人が犠牲になる世に、絶対になってはならないと思います。
< 令和2年の家族写真 >
長生きをしてくれた父は、二人の子供と五人の孫と四人の曾孫に会うことが出来ました。曾孫は七人まで増えています。
父と母にとって子供や孫、曾孫との写真は、いつも笑顔です。
ご先祖様から受け継いだ命のバトンを、後世に伝えていく。
これは、生命を授けられた者の役目であると思います。
ロータリークラブは、「ポリオゼロ」を目指して、小さな命を守ることを大きなテーマとしています。
利他の精神は、他人を尊重し人の命を大切にすることです。
道を外れた為政者もおりますが、地球上の多くの方が利他の精神を持ち、争いのない世の中を希求していくよう、一人一人は微力でも相互に理解しあい、排他主義を排していくよう、たとえそれが綺麗ごとでも、人としての理性と志を持ち、一度だけの人生に奉仕していきたいと思います。
ロータリークラブでは、「職業奉仕」、「社会奉仕」、「青少年奉仕」、「国際奉仕」がありますが、この世に生まれた意義として『人生奉仕』を続けていきたいと思っております。
卓話:新入会員卓話


卓話者:平野清一
2025年7月から入会させていただきました 平野 清一(ひらの せいいち) です。
入会にあたり自己紹介と今後の思いを述べさせていただきます。
人生100年とすると、2/3が終わった66歳、残りの1/3を如何に充実したものにするか、また冷静に世の中のあるべき姿を考え続け、次の世代を応援しようと思います。
入会のきっかけは、住まいおよび仕事でご縁ができた本会の牧ヶ野様からの紹介です。
【自己紹介】
1959年(昭和34年)4月4日東京生まれ、千代田区神田で育ちました。
幼い時代の神田は川岸の船から石を運びあげたり、長屋あり、朝はニワトリが鳴いていたり、千葉方面から取れたての野菜・卵・魚介類などの行商の方々が来たり、人間味のある町でした。
1964年東京オリンピックの頃から急激に町が変化し、合わせて公害もひどくなり小学校時代は光化学スモッグで真夏に外で遊べなかった記憶があります。
都心の人口減少が大きくなり、入園した区立神竜(しんりゅう)幼稚園は併設の小学校が全校で100名を切ったため卒園時に廃園、神田小学校(現:千代田小学校)、一橋中学校(現:神田一橋中学校)を卒業、統廃合で卒業時の名称はいずれも現在ありません。
高校は靖国神社隣の都立九段高校(現:千代田区立九段中等教育学校)、バドミントン部、ブラスバンド部に所属しました。
若い頃から皇居は何周も走りました。
早稲田大学理工学部金属工学科修士課程卒業、研究室では主に銅やアルミニウムの鋳造・凝固に関する研究でした。
その金属工学科は名称を2回変更後、2007年の学部学科再編で消滅しました。
大学時代には、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、スペイン語などの学習を通じて世界文化に触れることにも興味がありました。バドミントンは同好会で続けました。
大学卒業後1984年4月4日に住友軽金属工業(株)に入社し、25年過ごした東京都心をあとにし名古屋に引越しました。
以来今日まで、USA Virginia州Richmondに1年駐在、福井三国に3年9ヶ月、東京に2年勤務の他は名古屋拠点で生活しています。
この間、会社は2013年10月に2社統合して(株)UACJになり、アルミニウム板では日本の約半分の生産量の会社、世界でもトップクラスになりました。
主な板製品は、ビールなどの飲料用缶材です。
2025年3月末退職までの40年のうち、研究開発30年、お客様への技術サービス・品質保証を中心に製造現場8年、および東京本社2年でした。
この間、国内および海外の多くの事業所・お客様を訪問し交流できたことが私の大きな財産になっております。
また、2023年5月から2年任期で会員数約1800名の軽金属学会会長も務めました。
今後は、早稲田大学理工学術院非常勤講師として3回/年、アルミニウム材料について学部3年生中心に話をすることは継続しますが、当面は身辺整理や全国を旅しながらゆっくり物事を考えていくつもりです。
【今後の思い】
鬼頭会長の年度初めのお言葉Enjoy Rotaryを胸にロータリークラブの会員として、日本を大切することはもちろん世界にも目を向ける社会貢献活動、特に日本で首都圏ではなく地方を大切にする活動に注力したいと考えております。
原稿を書いている今まさに非常に気になる「地球表面高温化」(温室効果ガス問題のみではなくエネルギー使用減・緑を増やすべき、このままでは2030年頃以降住めない危険性)、日本では首都圏への極端な人口集中と住居価格高騰、50歳代半ば以下の社会保険費負担増に伴う実質給与急減などの課題に、中長期を見据えての対応が必要に思います。
環境悪化から食料確保困難は必至で、米騒動以前に食物を粗末にしないことをまず実行すべきと考えています。
日本での年間500万トン近い異常な大量食料廃棄は論外に思います。私は、幼少期に祖母から米1粒を落としたら洗って食えと言われ、食物を大切にする感覚が染みついてしまっています。
将来を見据えながらできることはすぐに進めることが私のポリシーです。
気になること、問題点は少しずつでもすぐに改善、前向きなことはまず最初の一歩を踏み出すことが重要に思います。
6月初めには、今冬に「たたら製鉄」を見学した奥出雲の棚田で田植え(手植え)も1日半経験できました。日本中を鉄道で旅し地方の良さを満喫しながら、地方の活動を応援する予定でおります。
次世代へ負債を残すことなく、次世代を担う中堅若手が夢を持てるように、これまでの人生のお礼としてできる限りの応援をしていきたいと思います。
ロータリークラブに入会でき、大変うれしく思います。会のルールを守り、「持続可能な世界」に向けて活動を進めたいと考えております。
なお、40年以上関わってきた金属材料、特にアルミニウム活用でお役に立てそうなことがあればお手伝いしたいと考えておりますので、気楽にご連絡ください。