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【第419回目】オンライン例会(2025年4月16日)

2025年4月16日(水)第419回WEB例会

目次

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

会長 天野元成

天野

皆さん、こんにちは。第419回の例会がスタートです。

皆さんこんにちは。

4月は入学の季節です。

私の一番上の孫がこの春、小学校に入学しました。

入学記念写真のランドセルを抱えた孫娘の笑顔を見て佳きことに恵まれるようにと思います。

米山梅吉氏が、東京英和学校(現在の青山学院)に入学した1887年から90年後の1977年に私は青山学院大学に入学いたしました。

<青山学院 正門> <学生証(2年生)>

1874年創立の青山学院は昨年創立150周年を迎えましたが、米山梅吉氏が入学した時には現在と同じ青山の地に移っていました。

この地を青山というのは、徳川の重臣であった青山氏所領の広大な敷地があったためです。

明治維新後は、青山氏の敷地は開拓使の農場となっていましたが、民間に払い下げられた後、青山学院が購入し校地とし現在に至っています。

<米山梅吉氏が学んだ校舎>

1868年2月26日に東京で生まれた米山梅吉氏は、5歳の時に母方の実家である静岡県長泉町(現在の米山梅吉記念館の地)に移り、沼津中学を経て19歳で東京英和学校に入学しました。

ガウチャーホールは、米山梅吉氏が入学した頃の建物で、この校舎で学んだ後、アメリカ・オハイオ州のウェスリアン大学、ニューヨーク州のシラキュース大学で学び1897年に三井銀行に入行します。

1909年には三井銀行常務となり、1924年には、三井信託銀行を設立しますが、その間の1920年に日本のロータリークラブを設立します。

米山梅吉氏と同じ青山学院出身で、続いて三井銀行に入行した間島弟彦(ましま おとひこ)氏は実業界で大いに活躍し、青山学院初代校友会会長としても母校を支援しましたが病を得て亡くなります。

間島弟彦氏の遺志を継いだ図書館建設では米山梅吉氏も大いに支援をされます。

この建物は、長く図書館として使われた後、『間島記念館』として現在は青山学院の歴史を伝える建物として使われ、青山学院の正門から続く銀杏並木の突き当りにあり、青山学院を代表する建物として親しまれています。

<間島記念館>

米山梅吉氏が、青山学院に残した足跡として大きなものの一つが、小学校と幼稚園の寄贈です。

現在の青山学院初等部は、米山梅吉氏が緑丘小学校として設立し校長先生に就任しました。

米山梅吉氏は、実業界で活躍し、日本のロータリークラブを設立し、更に母校に小学校と幼稚園を寄贈しました。

寄贈するだけでなく、自ら校長として子供たちの成長のため力を尽くしました。

まさに『奉仕の精神』のもと行動されました。

私がロータリークラブに入会した時、ロータリークラブの理念など学んでいく際に感じたのは、ロータリークラブのベースにある考えは以前どこかで学んだ懐かしいものと感じました。

それは、青山学院で学んだものでした。

、、、、真実に生き真理を謙虚に追求し、愛と奉仕の精神をもって、、、

青山学院の教育方針の中にある言葉です。

<創立150周年記念 新図書館>

青山学院は昨年2024年に創立150周年を迎え、新しい図書館を建設しました。

また重要文化財になっている旧図書館である間島記念館の改修を行いました。

卒業生に寄付の呼び掛けがありましたので、それぞれに名前を入れて頂きました。

ご縁があり学ばせて頂いた母校ですので、数十年若い後輩やこれから入学される方々のためにと思いました。

米山梅吉氏のように学校を寄付するほどの事は出来ませんが、自分の行える範囲であれば出来ることはしてきたいと思います。

仏教にも喜捨という言葉がありますが、古今東西、世の方々のために思いを持って行う事、大切と思います。

常に奉仕をする気持ちを持ち、自分で出来ることを探して進んで行動していく。

これは、ロータリークラブに入会したからこそであると思います。

ロータリークラブの会員として奉仕の事を常に考えていくにつれ、とても純化していっているような気持になります。

愛知友愛ロータリークラブは、今年度で11年目と若く人数も少ないクラブですが、皆で協力して奉仕活動を考え行動しやすいクラブです。

先人に学びながら、存在感のあるクラブを目指して進めていきたいと思います。

幹事報告

愛知友愛ロータリークラブ24-25年度、幹事の小田です。

下記に幹事報告を致します。

◎ジャパンロータリーポータルサイト(ご確認ください)
マイロータリーよりも情報が見やすいです。
https://www.japanrotary.club/home

今後の当クラブの実例会日程

4/20(日)地区協議会
時間:13:00-17:30(集合時間11:30)
会場:マリオットホテル
登録者は「昼食付」

4/24(木)3クラブ合同親睦会
時間:18:00-20:00(集合時間17:30)
会場:曼荼羅寺(江南市)

5/10(土)奉仕活動&例会
時間:9:30-13:00(集合時間9:00)
会場:久屋大通庭園「フラリエ」

6/14(土)本年度最終例会
時間:13:00-16:30(集合時間12:30)
会場:JPカンファレンスセンター3F

25-26年度

7/5(土)新年度の初例会
時間:13:00-16:30
会場:JPカンファレンスセンター3F(予定)

7/19(土)奉仕活動
時間:10:45-12:00
場所:共和西児童老人福祉センター
終了後は「昼食」

8/30(土)ガバナー補佐訪問
時間:13:00-16:30
会場:JPカンファレンスセンター3F(予定)
瀬戸RCの青山様、分区幹事様が訪問されます。

9/13(土)奉仕活動&例会
時間:9:00-12:30
会場:久屋大通庭園「フラリエ」

10/9(木)ガバナー公式訪問
時間:12:30-13:30(12:00集合)
会場:江南商工会議所
※江南RCさんが「ホストクラブ」です。

11/9(日)地区大会2日目
時間:13:00-17:30(12:00集合)
会場:豊川市総合体育館

12月未定 総会&忘年会
時間:13:00-17:30(12:00集合)
会場:JPカンファレンスセンター3F(予定)

◎当クラブの例会(メークアップが可能な例会)
4月は「地区協議会」のため、ありません。
5月10日(土)11:30-:フラリエにて例会(RFF1日目)
6月:「最終例会」のため、ありません。
7月:「年度の初回例会」のため、ありません。
8月:可能です。(現在、日にちは未定)

メークアップを希望される方は、こちらから①氏名②クラブ名➂メークアップ日をお知らせください。

メークアップ&スマイル

4/2~4/15までに、30名の方にメークアップを頂きました

新美俊生様、村重順土様、高橋尚忠様、米津ナオ様、柏木 功様、伊藤清隆様、高橋茂樹様、田口智様、横山要範様、櫻井健弘様、杉浦香代子様、永松何奈子様、北村正和様、今泉孝朗様、戸軽健様、森下昭造様、岡本知樹様、奥野櫻子様、稲垣孝幸様、柴山卓也様、大矢伸明様、古澤宏和様、坂井則夫様、白石裕司様、鈴木圭介様、小林由和様、柴田泰伸様、宮坂直木様、安藤淳様、佐々木康浩様

天野

誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません

メークアップをして、決済したにも関わらず「証明書が来ない」などありましたら、こちらからお知らせください

卓話: ニコボックスが教えてくれたこと

卓話者:天野恭子

2月に、念願の東京ロータリークラブ様にメーキャップさせていただくことができました。

なぜ念願なのかと言うと、伝統と格式あるクラブの魅力に触れる事はもちろんですが、私のルーツとも言える方がいらしたクラブでも有るからです。

私がロータリークラブに入る前、主人は名駅ロータリークラブで「出席ニコボックス委員」になりました。

「ニコボックス」そのユニークな名前の由来を調べていくと、植村伝助商店の筆頭番頭をされていた社会事業委員の関 幸重氏が東京ロータリークラブで慈善事業と特別寄附という形で始められた募金箱でした。
昭和11年に関東大震災の被災孤児たちを多摩川園に招待するための資金を募るために紙箱を会員に廻したことから始まりました。

その後、三越百貨店で恵比寿顔を彫り込んだ木箱を作り、お祝いや嬉しいことが有るときに会員がニコニコと募金する箱として現在まで続いています。

さて、父方の亡祖父が植村伝助商店に勤務していたことを以前聞いたことが有ったので、父に尋ねてみました。

祖父、平野秀夫は(明治34年福岡県生まれ)上京し植村伝助商店に勤務しました。
日本橋の羅紗問屋さんで、若手の祖父は関氏のもとで各地を回っていたそうです。

祖母、すぎは明治40年生まれで、静岡県伊豆長岡古奈の「本陣」という歴史ある旅館の三女として育ちました。
当時、三島駅南の楽寿園の中に有った三島高等女学校に大正8年に入学しました。(現在は三島北高校として米山梅吉記念館の近くに移転しています)

「本陣」は東京方面からのお客様が多く、関氏もそのお一人で女学校を卒業した祖母は、関氏のおすすめで上京し、お宅で行儀・お作法のお勉強をさせて頂いていたそうです。

私の父、秀和は、昭和6年に東京白金台で5人兄弟の長男として生まれました。
旧制芝中学2年の時、空襲で自宅が罹災し、関氏に住居のお世話をして頂いたとのことでした。

しかし残念ながらそれ以外の詳しいお話は聞いていませんでした。

令和元年に父が亡くなり、その後実家の整理をしていると、祖父母の婚礼写真(昭和5年頃)を見つけました。

私が初めて見る写真です。新郎新婦の両隣に今では珍しい仲人さんが座っていらっしゃいます。

この写真を見た瞬間、昭和初期に着物姿の方々の中でお一人モダンな洋装の方が、これはもしかして?と思いましたが、仲人さんが関氏と聞いていた訳ではなく、確信は有りません。

そこで、関氏のお顔を確かめたく、米山梅吉記念館の方に何か手がかりがないか、お尋ねしてみました。

すると暫くして「東京ロータリークラブ創立100周年史」の中にお写真が有りますと、お写真を送ってくださいました。

はたして同一人物であるか?ドキドキしながら拝見しました。               

それは想像通りの関氏でした。驚きと共に不思議な気持ちになりました。

なぜならば祖父母が関氏にお世話になった事で、今の私があるわけですから。

さらに調べていくと、関氏の奥様てるさんは神奈川県立高等女学校(現在の横浜平沼高等学校)を第4期で卒業されていて、偶然にも私はその70年後に 同校を卒業しており更に深いご縁を感じます。

ニコボックスの存在が教えてくれた関氏とのご縁。

私がロータリークラブに入会する大きな動機になっています。 

天国の祖父母と父はきっと喜んでくれている事でしょう。

ニコボックスに出会えた事と、大切に写真を残してくれた祖父母に感謝です。

祖母の育った旅館「本陣」は経営者が代わっていますが、現在も「頼朝の湯 本陣」として続いています。

3月の米山梅吉記念館での例会の前日に宿泊しました。

約100年前、この場所で関氏と祖母はどんなお話しをしていたのでしょうか。

メークアップ

今週の例会

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