
2026年10月7日(水)第454回WEB例会
開会点鐘・歌の斉唱
会長挨拶

26-27年度会長
小田純也(おだ じゅんや)
小田会長26-27年度愛知友愛RC会長の小田です。愛知友愛RCの第454回の例会です。
昨日、10月6日(火)は江南ロータリークラブ、岩倉ロータリークラブ、そして我々愛知友愛ロータリークラブの「ガバナー公式訪問」による3クラブ合同例会でした。
当日の様子は下記に掲載しましたので、どうぞご覧ください。
さて、今年も残すところ「3か月」となりました。
つまり、3/4が過ぎて、残りが1/4になったということです。
少し早いかもしれませんが、振り返ってみていかがでしょうか??
僕は今年に入ってからAIを話す研修講師として、様々な企業様や業界団体様に呼んでいただき、出張をしていました。
1月:静岡(伊東)、神奈川(桜木町)
2月:広島市内、大阪(新大阪・大阪・梅田・肥後橋)、東京
3月:東京(田町)、長野(松本)※3クラブ友愛合同例会
4月:東京(品川シーサイド)、大阪(八尾)、台湾(ロータリー)
5月:東京(府中・神田・銀座・渋谷)、大阪
6月:福井(武生)
7月:神奈川(三浦海岸)、埼玉(北朝霞)、大阪(寝屋川)、福岡(小倉)、静岡(静岡)、東京(初台、銀座)
8月:大阪(淀屋橋)、埼玉(熊谷)、東京×3回(有楽町、田町)、兵庫(姫路)
9月:栃木(那須塩原)、福岡(博多)、東京(半蔵門)、富山(富山)、神奈川(弁天橋)、岐阜(中津川)、広島
10月:静岡(島田)
【これから】福井(福井)、高知、岡山、埼玉(本庄早稲田)広島(福山)、福岡(小倉)、大阪、兵庫(加古川)
愛知県で開催した行事・ZOOMは上記には含めておりませんが、このように振り返ってみると、意外と今年はあっちこっち動いていることを再認識しました。
上記に出した理由としては、あっちこっちと移動しているから「良い」とか「すごい」などの皆様に評価をして欲しい訳ではありません。
このように「自分の行動の振り返り」を一度「ブログ」もしくは「紙」に書きだしてみると、この2026年の9か月間の行動が可視化でき、何かしらの気付きが得られるのではないかと思い、買い手みました。
たとえば
お仕事をしている人であれば、売上・新規の取引先件数・問い合わせ数・その月に行った施策を書き出してみる。
既にお仕事を卒業された方は、旅行に行った先、食事に行った回数、読書した数、動画を見た数などを書き出してみる。
別になんでも構いません。
この9か月をお時間がある方はぜひ振り返ってみてください。
多分、手帳やGoogleカレンダーを開いて30-60分あれば、ざっくりと振り返ることができると思います。
そして、書き出してみることによって
「時間が上手に使えていた」と自分で評価をされる人もいれば
「全然、時間を上手に使えずに1年が終わろうとしている。。」と自己評価される人もいるでしょう。
その評価自体、振り返るからこそできる話ですので、ぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。
幹事報告

愛知友愛ロータリークラブ26-27年度幹事の牧ケ野です。
下記に幹事報告を致します。
日時:2026年10月6日(火)13:30-14:10開催
参加者:小田、牧ケ野、天野元成、恭子、平野
①会計報告(会長:小田、久保田会計が欠席のため)
詳細は別紙参照(8月末より約14万減少)
②議案
1.フレンドシップパートナー制度の登録依頼(幹事:牧ケ野)
・9月5日(土)例会のゲスト:石田さんから登録申請あり
2.2027年5月のフラリエ植栽日の変更(社会奉仕委員長:天野)
・5月8日(土)→5月15日(土)会場都合のため日程変更
3.フラリエへの寄贈品(除草ブロワーと演台)
・購入方向へ(会計から購入を)
➂報告
1.9月19日(土)米山秋季例祭 参加報告(幹事:牧ケ野)
・愛知から西から来ていた参加者は少なかった
・北海道、東北のロータリアンが来ていた
・東京のロータリアンが多かった
・
2.山本会員の米寿をお祝いする会(天野)
12月12日(土)の総会後に(奥様とご一緒に)
3.各委員会予定について(幹事:牧ケ野)
用紙を参照
4.次年度(27-28年度)のスケジュール(幹事:牧ケ野)
・第1回会長幹事会のホストクラブについて(2027年8月)
10月8日(木)は間に合わないため、早々に決める必要が。。
・ガバナー補佐訪問(2027年9月25日(土)会場:JPタワー
・ガバナー公式訪問(2027年10月12日(火)会場:フラリエ
5.2月の職業奉仕活動
場所:日本製鉄名古屋製鉄所訪問(予定)
日程:2月中旬~下旬の平日(予定)
④地区補助金事業について
11月28日(土)地区補助金事業のパネルについて
・何が他に文字を入れたいものがあれば
・パネルの大きさ(A4?A3?場所が変わるので確認)
・パネルの発注から納品まで「約1週間」かかる(来週には知りたい)
◎ジャパンロータリーポータルサイト(ご確認ください)
マイロータリーよりも情報が見やすいです。
https://www.japanrotary.club/home
2026年11月14日(土)地区大会
会場:エスパシオナゴヤ
13:00 現地集合
13:30 地区大会開始
17:00 地区大会終了
2026年11月28日(土)補助金事業「フラワー&スケッチ」
会場:久屋大通庭園「フラリエ」
9:00 集合 奉仕活動(名城大学ボランティア協議会・一般の方)
11:00 例会開始
12:00 例会終了
2026年12月12日(土)総会
会場:久屋大通庭園「フラリエ」
13:00 集合→奉仕活動
14:00 理事会開始
15:00 総会(卓話:ロータリーの友の地区代表:池森様が来られます)
メークアップ&スマイル
9/16~10/5までに、35名の方にメークアップを頂きました。
佐々木康浩様、高橋正典様、平井篤志様、横山要範様、両角國男様、西野哲史様、林友信様、誉田芳孝様、石川泰隆様、柏木功様、小山敦様、磯村巌様、宮川嘉隆様、柴山卓也様、尾崎秀典様、山本清博様、二村繁靖様、村越和也様、西村尚三様、柴田泰伸様、安井友康様、安井元司様、勝木務様、塩之谷香様、稲垣良次様、田中地宏保様、伊藤覚様、新美俊生様、近藤純子様、杉浦祐介様、原田立朗様、豊田貴久様、水上保徳様、今田正樹様、大岡信仁様
小田会長誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。
※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
メークアップをして、決済したにも関わらず「証明書が来ない」などありましたら、こちらからお知らせください。
卓話:「母校の大先輩」

卓話者:天野恭子
私が尊敬し、大切な母校(高校)の大先輩が、二人いらっしゃいます。
女優、文筆家、ジャーナリストなど多方面で活躍され、先日お亡くなりになった「岸 惠子」 さんです。

こちらは、高校の校内と校門前に掲示されたポスターで、同窓会「真澄会」より画像を提供していただきました。
校門前のポスターは、地域の多くの方々に、ご覧いただいたそうです。

5年前に出版された「岸惠子 自伝」から生涯を辿ります。
1932年8月11日、横浜で生まれる。
子供の頃は、元気で活発だったけれど華奢な女の子であったようです。
1941年、太平洋戦争が始まり戦況が激しくなり疎開するが、1944年に女学校受験のため横浜に戻り、県立横浜第一高等女学校(現在の県立横浜平沼高等学校)に合格する。(当時は小学校6年生で女学校を受験)
1945年5月29日の横浜大空襲に合い、防空壕に逃げろという大人の言うことを聞かず、松の木に登っていて一命を取り留めた。
入るはずだった防空壕は崩れ中にいた人のほとんどが亡くなった。
この時の経験が、「自分のことは自分で決める」と言う今後の生き方に大きく影響したようです。
幼いころから物語を読むのが好きで川端康成に魅せられ「花のワルツ」に出てくるバレリーナに憧れバレエを習いたいと親に相談すると、お茶とお華の稽古をするならと許してもらい、同級生と一緒に銀座の教室に通い始めた。
学校では、演劇と舞踏サークルに属し、文化祭では創作劇を書き、舞台装置から演出もしたが、演じたのかどうかは忘れてしまったらしい。
舞踏サークルでは、一年下の女優・草笛光子さんと一緒だった。
英語の寒川先生の授業のことが書かれていますが、私もこの先生に教わり、フェイントをかける独特な指名の仕方は私の時も同じでした。
さて、バレエ教室の帰りに有楽町まで歩いていると『美女と野獣』の映画のスチール写真が目に留まり、映画の不思議に魅せられ、親友の誘いで大船撮影所に見学に行きました。
撮影の様子を見たいだけだったので、撮影所内の見学がフリーパスになる研究生になり、何度か足を運びました。高校3年生になる春休みに教育映画『アメリカ博覧会の一日』に女学生役での出演の誘いを受け出演しました。
1951年、高校の卒業試験が終わり、大学入試の準備に専念している時、『我が家は楽し』の出演を依頼され、女優志望でなかったので1本だけとの約束で出演するが、これが当たり何本もの映画に出ることになり大学進学を諦め女優の道へ。
映画全盛期で寝る間もない忙しい日々を送っていた時、『君の名は』の真知子役での出演が決まり、1953年9月に第一部、12月に第二部、翌年4月に第三部が封切られ、空前の大ヒットとなり、松竹の看板女優になった。
撮影時、寒さのためアドリブでストールを頭に巻いたスタイルが「真知子巻き」と呼ばれ、多くの女性が真似をする社会現象になる。
何処に行っても、「真知子さん」と呼ばれ自由が奪われてしまった。
また、当時は五社協定と言って大手映画会社が、それぞれ専属の監督や俳優を抱え、会社を越えての出演などが制限されて会社の意向に従うしかなかった。
そこで、大きな決断をする。当時活躍していた、久我美子さん、有馬稲子さんと女性三人の 「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立する。
一歩間違えば女優生命を絶たれることになりかねなかったが、 幸い仕事は途切れることなく、作品を選ぶ権利を勝ち取った。
1955年の春『亡命記』がシンガポールで開催された東南アジア映画祭に出品され最優秀主演女優賞を受賞した。
この映画祭に『風は知らない』の主人公役を探しにきていたデヴィッド・リーン監督は彼女を抜擢した。
世界に飛び出すきっかけとなり、英語習得のためロンドンに向かうが、プロデューサーの急逝で制作は一時ストップとなってしまう。
衝撃で打ちひしがれていた時、フランスのイヴ・シャンピ監督から『忘れえぬ慕情』の出演依頼の電報が届き、急遽フランス語習得のためパリに移った。
日仏合作のこの映画で、ヨーロッパに日本ブームが起き、日本と海外に活動の場が広がることになる。
この時代、日本では自費の海外旅行が禁じられていた。
監督・医師でもあるイヴ・シャンピ氏から、プロポーズともとれる言葉をかけられた。「ぼくが招待するからヨーロッパやアフリカを見てみませんか?」 複雑な顔をしている彼女に「《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》 という諺がある、いろいろな国を見て、日本か外国二者択一の覚悟が決まったときに割るほうがいい、その選択は、あなたの自由です」と言われ、恋に落ちた。
『雪国』の主演が決まった時に、これが最後と女優に区切りをつける決断をして、卵を割った。
1957年4月下旬『雪国』の、撮影が終わり、24歳の彼女は、大勢の人に見送られ、羽田空港からパリに向かった。
5月1日に結婚式が行われた。仲人は川端康成氏、「ペンクラブ」世界大会のため公式訪問中だった。
披露宴は多くの知名人、村中の人も招待して三日三晩華やかに行われた。寝る間もなかった女優生活から別世界飛び込んだ。
シャンピ家は、高名な文化人、詩人や映画スターが集まる家で、海外旅行が自由化されていない日本からは、野球選手の長嶋茂雄、王貞治、野村克也、稲生和久さんなどが、訪れた。
シャンピ氏は、年に一、二度里帰りのチケットをプレゼントしてくれて、1958年夏、日本に帰った時、木下惠介監督から『風花』の出演依頼が有り、迷いは有ったが、一度決別した女優の復帰を決めた。
撮影の待ち時間に読んだ本のゾルゲ事件に興味を持ち、女優一筋に徹することが出来ず、世界情勢の悲喜こもごもの事件に心を馳せる。
結婚6年目に長女が誕生し、幸せの絶頂にいた。
子どもが可愛い盛りに「にんじんくらぶ」製作『怪談』が企画され「雪女」に出演し、世界各国で上映され大反響だったが、製作費予算超過で負債を抱えて「にんじんくらぶ」は苦境に陥る。
責任感から、TVドラマやコマーシャルなどに無料出演し返済に充てた。
日本とフランスを行き来するうち、家を空ける事が多くなり、娘を連れて離婚を決意する。
当時の日本の法律では、子どもに母親の国籍を与えることは出来ず、フランスで生活することになる。
この後の彼女は、映画出演だけでなく、『巴里の空はあかね雲』で第3回日本文芸大賞エッセイ賞受賞、そして数々のエッセイ・小説などを執筆し多くの賞を受賞。
国際ジャーナリストとして、テレビの報道番組に出演。アメリカ大陸を除く、旧ソ連、中東、アフリカなどの紛争地帯や未開の地など、危険な目に何度も遭いながら、自分の感じたことを自分の言葉で伝える活動もした。
演じる女優から、生活する人々の現実を伝え、誰もが平和に暮らせる社会を願った。
1996年 国連人口基金親善大使として、ベトナム、アフリカなどを回る。
2004年に旭日小綬章を受章。
この本のサブタイトル、《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》は、「古い体制や現在の安定を壊してこそ目的は遂げられる」というフランスの諺であるが、まさに自分の意志で動き、未知の世界に飛び込むことを恐れなかった岸さんそのものを表していると思いました。
もうお一人は、私の祖父母の仲人の奥様です。
数年前に実家で見つけた昭和5年頃の祖父母の婚礼写真です。
最近分かったのですが、仲人さんは、「ニコニコボックス」を始められた東京ロータリークラブの関幸重さんと、奥様の「第4期の関てるさん」です。
(詳しくは、カテゴリー・ニコニコボックスに以前の記事があります)

100年位前に御夫妻と祖父母のご縁が有って、今の私が存在しています。



