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【第451回目】オンライン例会(2026年8月19日)

2026年8月19日(水)第451回WEB例会

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

26-27年度会長
小田純也(おだ じゅんや)

小田

26-27年度愛知友愛RC会長の小田です。愛知友愛RCの第451回の例会です。

お盆はいかがお過ごしでしたでしょうか。ゆっくり過ごせた方もいらっしゃれば何よりです。

最近は、生成AIの使い方をお伝えする研修講師として、全国各地を飛び回る日々が続いています。

そんな中、8月4日の大阪出張から帰った後に、久しぶりに体調を崩し、38度を超える発熱。

翌5日には東尾張分区の第1回会長・幹事会がありましたが、翌6日には埼玉県内の商工会議所で講演が予定されていたのと、体調が戻っておりませんでしたので、残念ながら欠席させていただき、1日ゆっくり休養していました。

翌日は、なんとか体調も持ち直し、無事に講演を終えることができました。

その後はお盆期間に入り、長距離移動もなかったため、比較的のんびりと過ごしながら、提出期限が迫っていた5か所分の研修資料を仕上げていました。

大体、60-120分の話が多いですが、120分だと、約50枚強のスライドを準備します。

そして昨日、8月18日(火)は西尾ロータリークラブ様(当クラブの親クラブ)へ表敬訪問をさせていただきました。

昨年は幹事として訪問させていただき、今年は会長として訪問させていただきました。

お盆中に8月後半から11月までのAI研修・生成AI講演の出張先を整理してみたところ、都道府県別の件数を合計すると24件・17都道府県でした。

東京都×5、大阪府×2、広島県×2、愛知県×2、兵庫県、福岡県、富山県、神奈川県、岐阜県、静岡県、福井県、高知県、埼玉県、徳島県、北海道、新潟県、栃木県。

改めて県外へ伺う機会の多さを実感したのと同時に、仕事があることはありがたいなと感じました。

この夏は、夏の甲子園、バレーボールのネーションズリーグと買取大吉 バレーボール アジア選手権2026、ワールドカップ2027アジア予選(買取大吉カップ2026)がありますし、9月19日からは愛知県で第20回アジア競技大会(2026アジア競技大会)が始まります。

特にアジア競技大会に関しては、第2760地区のクラブによっては、「現地で試合観戦をしよう!」という企画はありそうな気がします。

まだまだ暑い日が続きますので、皆さまもどうぞ体調にはお気をつけください。

幹事報告

愛知友愛ロータリークラブ26-27年度幹事の牧ケ野です。

下記に幹事報告を致します。

◎ジャパンロータリーポータルサイト(ご確認ください)
マイロータリーよりも情報が見やすいです。
https://www.japanrotary.club/home

お知らせ

ベルマーク教育助成財団のホームページに当クラブが掲載されました

26-27年度(上半期)

2026年8月22日(土)親睦例会
会場:久屋大通庭園「フラリエ」
13:00 集合 奉仕活動 
14:15ー15:15 理事会、15:30ー16:30例会
17:00ー19:00 親睦BBQ

2026年9月5日(土)植栽例会
会場:久屋大通庭園「フラリエ」
9:00 集合 奉仕活動(名城大学ボランティア協議会)
11:00ー12:00 例会(食事付き)

メークアップ&スマイル

8/5~8/18までに、26名の方にメークアップを頂きました

立脇功二様、廣瀬純平様、久田雄三様、角谷広高様、服部英男様、柴山卓也様、山本修士様、荒川和紀様、柴山卓也様、池永隆司様、森敏哉様、伊藤清隆様、大岡信仁様、新美俊生様、稲垣良次様、大矢伸明様、植松大輔様、陣内洋明様、宮川嘉隆様、新美大輔様、鈴木博文様、佐々木康浩様、大谷尚志様、高橋正典様、今田正樹様、倉内勝広様、

小田

誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません

メークアップをして、決済したにも関わらず「証明書が来ない」などありましたら、こちらからお知らせください

卓話:「真田太平記/池波正太郎」を読んで(2)

卓話者:牧ヶ野孝宏

前回(20260715)の卓話に続いて「真田太平記を読んで」の現場検証をお話させて戴きます。

さて、「天下分け目の関ヶ原の戦い」は、真田太平記では中盤の6-7巻になります。

 ご存知の方も多いかと思いますが、真田家は当主昌幸と幸村が西軍(豊臣)、幸村の兄信幸が東軍(徳川)に参加し分かれて戦うことになります。

真田家が、東西対決にどの様に対応するかを決めた場所が、佐野ラーメンで有名な栃木県佐野市の「犬伏」と言う場所です。

ここで行われた真田家の協議を「犬伏の別れ」と言い、戦国の小大名が、どちらが勝っても家名を残す選択をした、ということで有名になっています。

(犬伏

 東軍は家康が東海道を進み、秀忠が中山道を進み、信幸は秀忠軍として上田城で籠城する昌幸・幸村と闘うことになります。秀忠軍は、真田の上田城を攻めあぐね関ヶ原の戦いに間に合わなかった・・・、という流れになりますが、腑に落ちない感があります。

・「東軍」の実態は何なのか?

家康は、何故、秀忠軍の到着を待たずに関ヶ原の決戦に進んだのか?

 ここで、最近読んだ本を紹介します⇒「インテリジェンス関ヶ原(本郷和人/文春新書)」

当時やり取りされた古文書からインテリジェンス戦として、総合的に詳しく解読されています。この本を参考にしながら、関ヶ原の戦いへの経緯をたどり、私見を整理してみます。

 ・1590年小田原征伐後、関東八州250万石となり秀吉に次ぐ実力者(家康:天下を意識)

  *秀吉が関東の家康を牽制する為、豊臣恩顧の大名を配置:越後→会津:上杉景勝(1598)、甲州:浅野長政・幸長、東海道:中村一氏、山内一豊、堀尾吉晴、田中吉政、

尾張清洲:福島正則  

 ・1598年 秀吉死去(五大老五奉行体制)

 ・家康「婚姻外交」開始:福島正則の養子⇔家康の姪(松平康元の娘)

             加藤清正の後妻:家康の養女(水野忠重の娘)

             黒田長政(黒田官兵衛の息子)の妻:家康の姪(保科正直の娘)

 ・1599年 前田利家死去 直後に「7将襲撃事件」(三成失脚)が発生

  *加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長ら豊臣恩顧の7将が石田三成を襲撃:「朝鮮出兵のしこり」と「豊臣システム(官僚支配制度)」への反発。家康が「三成を佐和山城へ蟄居させる」ことで事態を収拾。

  *「加賀征伐」を開始:前田利家から家督を継いだ利長への「家康暗殺計画」の疑い⇒★言いがかり①「いちゃもん」/浅野長政が加担?⇒後々、幸長含め厚遇

   前田家内の「好戦派(豊臣方)」と「弁明派(徳川方)」の争い⇒利長が弁明しすることで決着、加賀百万石への道を進む。

 ・1600年「会津征伐」を開始:上杉景勝に豊臣政権への謀反の疑い

★言いがかり②「いちゃもん」/上杉・直江と三成の友好関係

  *家康が正規の「豊臣政権軍」を率いて会津に出兵。豊臣政権軍は、加藤清正(熊本)を除く、三成襲撃事件の武将と東海道に配置された豊臣方の武将を中心に編成。

関ヶ原で戦った「東軍」は、わずかな例を覗いてこの豊臣政権軍

⇒例外:大谷吉継、真田昌幸・幸村(犬伏の別れ)

 *「西軍」は、大谷吉継が会津征伐の豊臣政権軍に参加しようと、敦賀から途中の佐和山城を訪れた際に、三成が吉継を説得し、これに安国寺恵瓊が参画し毛利家を動かし毛利輝元が大阪城に入り、豊臣政権クーデターに成功することでスムーズに成立(三成復権)します。そしてまず東軍方の大津城、伏見城を攻め、尾張での防衛線を考えます。

(関ヶ原直前の情勢)

以上の流れで考えると、家康が、秀吉の失政を官僚として背負った三成をターゲットにして、反発する「豊臣方恩顧の武将」たちの取り込みを進め、更に、有力大名の前田・上杉に「いちゃもん」をつけ、豊臣方同志の内戦に持ち込んだのが「関ヶ原」ということになるのではないか?と思えます。

さて、官僚である三成が立てた戦の理念は「このままでは豊臣政権は家康に乗っ取られる、豊臣恩顧の武将は打倒家康で立ち上がれ!」というものです。

三成が最初に考えた防衛ラインは尾張と三河の境ですが、そこを領地としていた福島正則は、再三の三成の要請に全く応ずることなく、それどころか東軍の先陣として戦いを進めます。

東軍に参加した「豊臣恩顧の武将」たちは全く脱落することなく、次の防衛線であるはずの木曽川も簡単に超え、かつて難攻不落といわれた岐阜城もあっさり落城します。

三成は大垣城まで進み西軍の拠点としますが、東軍の先鋒が岐阜から中山道を進み赤坂に集結する動きを見て「このまま大垣を回避して佐和山城に向かうのではないか」との懸念から、大垣城を出て関ヶ原に陣を置き迎え打つ体制をとります。家康からすると、苦汁をなめた武田信玄との「三方ヶ原戦い」を思わせる作戦です。

そして、秀忠軍の到着を待つことなく、壬申の乱で勝利した大海人皇子が陣を張った場所に、堂々と本陣を張り関ヶ原に軍を進めます。

(家康本陣)

さて、関ヶ原の西軍の敗因は「小早川秀秋の寝返り」と言われています。

しかし、これは西軍側も想定内の話であり、大谷吉継が予め防戦用に布陣し、小早川軍を三度押し返しています。

(関ヶ原の土産菓子)

西軍側の本当の誤算は、南宮山に布陣した毛利軍が動かなかったことです。

毛利軍は吉川広家が先陣を切り動くことになっていました。

吉川広家は徳川と通じ戦後の「毛利家の安泰」を家康と約し、最後まで動きませんでした。

その為、毛利秀元・安国寺恵瓊などの西軍主力が全く機能しませんでした。

毛利軍は関ヶ原を撤退するときも堂々と東軍の横を通って大阪へ帰って行ったようです。

(関ヶ原合戦布陣図) 

 関ヶ原で戦った「徳川家の武将」たちは、有名な島津義弘の正面突破の撤退戦で負傷した

井伊直政・松平忠吉くらいで、後は秀忠に従軍させてしっかり温存しているように見えます。

家康は事前にインテリジェンス戦を通じて、「勝ち」を確信していたと感じます。そして「天下分け目の戦い」は、あっさりと1日で決着してしまいます。

では、西軍三成に勝ち目はなかったのでしょうか?

三成は、大垣城で籠城し長期戦に持ち込むべきでした。

上杉も真田も長期戦を想定していました。

小牧・長久手の戦いのような形で和睦するのが、豊臣政権の延命策であったと思われます。

大垣城は、今行くと町の中にあるちっぽけなお城に見えますが、戦前までは現存し国宝に指定され、多くの堀と水路に囲まれ、家康に「水攻めしかない」と言わしめた難攻不落の名城です。

籠城戦で長期戦に持ち込み、宇喜多秀家や小西行長らの提案する夜襲ゲリラ戦法で東軍の陣地を繰り返し奇襲すべきでした。

その上で。大阪城の秀頼と毛利輝元を説得し佐和山城辺りまで進軍させ、家康に通じていた吉川広家の仲介で和睦に持ち込むことが出来たように思われます。

(大垣城)

 関ヶ原の戦いは、天下分け目の戦いと言うより、計算された圧倒的な徳川政権を樹立させる為の経過プロセスであり、対抗勢力である西軍を豊臣恩顧の武将たちの武力を使って成し遂げた戦でした。

徳川の武将たちの武力は温存したままで、西軍の88大名が改易、780万石の領地が没収され、五大老のうち宇喜多秀家は敗走、前田家を管理下に置き、毛利家・上杉家を減封、豊臣政権の中枢である五奉行を解体(加賀征伐に加担した浅野長政のみ厚遇?)、豊臣家も大幅に減封することで一気に対抗勢力を駆逐し一強体制が確立しました。

池波正太郎氏は、真田太平記を構想する段階で、大阪の陣も含め「いちゃもん」を繰り返す家康に業を煮やしていたと思います。

大垣城での籠城による長期戦を推奨しているように思いますし、関ヶ原の直前に、独自の防衛線を長良川に引いて、家康が赤坂に合流する直前に「お江」を単身で奇襲に使います。

(河渡)

また、大阪の陣で有名な★言いがかり③「いちゃもん」をつける家康が、最後に恐れていた豊臣方の武将「加藤清正」の死因を、甲賀忍者の料理人による毒殺説をとって、更に悪人を際立たせています。

  但し、賛否はありますが、これらのインテリジェンス戦によって徳川250年の安定した武家社会が早期に確立し、日本の現代に続く「大名・武士文化」の精神を育み、今若者・外国人が夢中になる「刀剣文化」を作ったのも事実です。歴史は似たようなことを繰り返しますが、後戻りはしません。

 *さて、真田太平記で1巻~12巻まで通して活躍するのが、「お江」です。色々な局面で変装して活躍し、草の者(忍者)の世界でスリルある展開を見せます。以前、友人たちと酒飲み話で「もし、ドラマでお江を演じさせるとしたら、女優は誰?」を延々と議論したことがあります。

私は「江口のりこ」さんを推奨します。

みなさんは、如何ですか?

                                以 上

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